東海道五十三次

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東海道五十三次

江戸時代の旅の様子や風景を描いた日本を代表する浮世絵作品。

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「東海道」は、江戸時代の将軍・徳川家康(とくがわ いえやす)の命令によって作られた、江戸と京都(のちに大阪まで延伸)を結ぶ街道の1つ。
公用の旅人の行き来や荷物を輸送するために、53の宿場が整備された。

宿場には宿屋や食事処などが多く集まっており、旅人の宿泊場所となっていただけでなく、隣接する宿場まで公用の旅人や荷物をリレーのようにして送り届ける役割も担っていた。
街道沿いの53の宿場で旅人や荷物が次から次へと継ぎ送りされたことから「五十三次」と呼ばれるようになった。

江戸時代に宿場が整備された場所
江戸時代に宿場が整備された場所

「東海道五十三次」は、そんな東海道の宿場の様子や名所、風景などを叙情的に描いた歌川広重(うたがわひろしげ)の浮世絵作品で、旅が身近でなかった江戸時代には、多くの庶民が「東海道五十三次」の浮世絵を見て、旅へのイメージと憧れを膨らませたとされている。
また、これらの浮世絵は、海を越えてヨーロッパにも渡り、19世紀に活躍したモネやゴッホなどの芸術家たちにも影響を与えた。

かつての宿場は、まちや交通の発展とともにその役割も景観も大きく変化したが、今もなお、当時の面影を残す宿場や名所もあり、広重が浮世絵「東海道五十三次」の中で描いた景観と現代の風景とを比べてみるもの面白いだろう。
特に、静岡市にある薩埵峠や丸子宿は、今も浮世絵さながらの風景が楽しめることで人気のスポットである。

また、「東海道五十三次」を歩いて巡るツアーもあるため、江戸時代の旅人になった気分で参加するのも楽しいかもしれない。

ポイント

  • 「東海道五十三次」は、江戸(現在の東京)と京都を結ぶ「東海道」にある53の宿場の様子や名所を描いた歌川広重の浮世絵
  • 旅が身近でなかった江戸時代には、浮世絵「東海道五十三次」を見て多くの庶民が旅への憧れを抱いた
  • 浮世絵「東海道五十三次」は、ヨーロッパにも渡り19世紀に活躍した多くの芸術家にも影響を与えた
  • 江戸時代の姿から大きく変化をした宿場も多いが、今も浮世絵と同じような景観を楽しめる場所もある

写真

  • 歌川広重が描いた東海道のスタート地点「日本橋」

    歌川広重が描いた東海道のスタート地点「日本橋」

  • 歌川広重が描いた東海道のゴール地点「三条大橋」

    歌川広重が描いた東海道のゴール地点「三条大橋」

  • 歌川広重が描いた、東海道五十三次の22番目の宿場である「藤枝宿」
作品名:東海道五拾三次之内 藤枝 人馬継立(藤枝市郷土博物館所蔵)

    歌川広重が描いた、東海道五十三次の22番目の宿場である「藤枝宿」 作品名:東海道五拾三次之内 藤枝 人馬継立(藤枝市郷土博物館所蔵)

  • 歌川広重が描いた、東海道五十三次の20番目の宿場である「丸子宿」
作品名:東海道五拾三次之内 鞠子 名物茶店(静岡市東海道広重美術館蔵)

    歌川広重が描いた、東海道五十三次の20番目の宿場である「丸子宿」 作品名:東海道五拾三次之内 鞠子 名物茶店(静岡市東海道広重美術館蔵)

  • 現在の丸子宿にある、とろろ汁の老舗「丁子屋」

    現在の丸子宿にある、とろろ汁の老舗「丁子屋」

公式FAQ

よくある質問に対する掲載施設の公式回答です。

Q

「東海道」は今でも歩ける?

A

江戸当時のままの姿で残っている道は極めて少ないが、現在でも東海道を歩いて、各地の名所・旧跡を巡ることはできる。

Q

歌川広重の「東海道五十三次」は一枚の浮世絵?

A

各宿場の景観などを描いた53枚と、東海道のスタート地点である「日本橋」とゴール地点「三条大橋」の景観を描いた2枚の合計55枚の浮世絵がある。

Q

浮世絵と同じような景色が楽しめる場所が知りたい

A

静岡市の「由比宿(薩埵峠)」や「丸子宿」は当時と同じような景色が今も残っているほか、由比宿にある静岡市東海道広重美術館では、広重の浮世絵作品を鑑賞することができる。

基本情報

日本語名称
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)
浮世絵に描かれた宿場がある都道府県
東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府