【岐阜市モデルコース】戦国武将織田信長公ゆかりの地・岐阜市を満喫するならこのプランで決まり!
群雄割拠する戦国武将たちを次々に討ち、天下統一まであと少しのところまで手をかけた戦国時代(1467~1615年前後)のカリスマ・織田信長公(1534〜1582)。日本国内でも圧倒的な人気を誇る信長公が基盤を築き上げ、天下統一の足がかりとしたのが「岐阜」の街だ。岐阜市には、岐阜城をはじめとする信長公ゆかりの名所や、信長公が遺した「おもてなし」の精神を感じさせる見どころが多く点在。
臨済宗妙心寺派に属す、1511年に創建された寺院。織田信長公が1567年に岐阜に移った際、菩提所として保護した。
信長公と息子の信忠公の位牌が安置されている「織田信長父子廟」を、庭園で拝観することができる。本能寺の変で信長公と息子の信忠公が明智光秀の裏切りに合い討たれると、信長公の側室お鍋の方によって遺品がこの寺に送られた。毎年11月の第1土曜日の「ぎふ信長まつり」の日には、同寺院で「織田信長公追悼式」が営まれる。
本堂にある「血天井」も戦国時代の歴史を語る貴重な史料。信長公の孫、秀信公が1600年の関ヶ原の戦いで西軍の石田三成に加担したため、岐阜城は東軍から猛攻撃を浴びた。この時戦死した兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板をこの寺院の本堂の天井に張ったという。現在でも血痕が付着しているのを見ることができ、当時の戦闘の激しさがうかがえる。
よくある質問に対する掲載施設の公式回答です。
Q
御朱印はありますか。
あります。
Q
駐車場はありますか?
18台、バス2台あります。
Q
コインロッカーはありますか?
ありません。
Q
喫煙スペースはありますか?
ありません。
ご回答ありがとうございました。